ズバッとズキューン!のQ&A

わかりやすさと、ハートにズキューン!ってくる衝撃の、両取りを試みたQ&Aです。

Q.偽善者になるくらいなら凡人の方がマシですか?

A.善人一択だと私は思うよ!

善人は透明なガラスみたいに透けているから、善人にしか善人や善行は見えないんだ。
だから、偽善者にも凡人にも、善人は存在しないか、もしくは役立たずとしか思えない。
手本がないから偽善者も凡人も、善人になれない事になっているけど、
善人になれた人も誰一人、手本を参考に善人になったものはいないんだと私は思うよ。


善人、それはちょうど道端のタンポポのような存在感。目にしていても気にならない。
小さすぎれば存在は消滅してしまうし、逆に目立ちすぎると雑草として駆除される。
偽善者は、「みどりを大切に」のキャッチフレーズで、花壇に植えられた外来種の花株。
野生種を駆逐する名目に使われ、花が枯れれば実を結ぶより早く焼却炉に連行されるの。
凡人は真四角に整えられた生垣な。やっぱり善人一択だと思うんだけど、いかがかしら?

Q.コンドームは優しさですか?

A.ただの責任逃れだよ!

性行為が快感を伴うのは、先祖が子づくり時に究極に喜んだからだと、私は思うんだ。
先祖が嬉しかったから快感があり、食べたかったから美味しく感じるんじゃないかな。
快感を伴うから繁栄したという人もいるけど、それじゃ始まりが説明できないんだ。


先祖が残した道しるべをたどる事は、本来なら先人の成功例だから、良い参考になる。
でも、現代での性行為は、快感を得る為に快感を得る物に成り下がっているみたいだね。
子供がつくれる喜びから発生した快感を、子供をつくらずに得るのは冒涜だと思うな。


また、パートナーがもし重大な性病のキャリアだとしても交えられるかも、大事な問題。
リスクと思えるものがむしろ人生を共有するメリットと思えるくらいが愛じゃないかな。

Q.成功するには何が必要ですか?

A.成功以外の、すべての失敗が必要だと思うよ!

例えば、1から10まで数があるとして、5なら成功といわれていると仮定すると、
運良くたまたま5になれたとしても、それは成功とは呼べないと、私は思うんだ。
だってさ、もしかしたら6が大成功かもしれないのに、試さないのはおかしいでしょ?
「このラインナップなら正解は間違いなく5だ」といえて初めて成功なのではないかな。


世の常では、「5が成功って事だよ」という人が一人いると、みんな5を目指すんだ。
そうすると、余計に5になりにくくなっちゃうんだよね。倍率が高くなるから。
でも大丈夫、みんなが1から10まで十分に経験したら、そんな事はなくなるんだ。
1から10まで色々ある様に、人間も十人十色だから、何が成功かも人によるからさ。
自分にとっての成功が何を指すのかを知る為にも、全ての失敗が必要だと私は思うよ。

Q,バカにバカっていっちゃいけないんですか?

A.そうみたい、どうも黙秘しないといけないらしいね。

本当にバカな人って、自分に都合が良いものを正義と呼び、それ以外を悪というの。
その判断基準では真実に基づくお話ができないから、よりバカな者が勝つのよね。
だから、バカと話すとバカがうつるし、話も嘘が混じりややこしくなって終わらない。
それを続けていくと、現代社会みたいに、バカしかいない空間が出来上がっちゃうの。
バカの波紋は小さくすぼめたまま隔離し、そのまま消えるのを待つしかないみたい。


それとは別に、もし自分の方がバカだったらって考えると、他人をバカにできないよね。
バカの波紋は小さくすぼめるのが大事なんだら、自分のバカも小さくするのが良いはず。
自分のバカにはバカだって指摘してあげても、反発せずに納得する事ができるみたい。
そんな自分の成長の為にも、自分の方がバカである可能性に賭けてみるのがいいかもね。

Q.僕はどうして産まれてきたんですか?

A.そもそも産まれてなんていなかったんだよ?!

君はまだ生まれていなかった頃の記憶があるかい?一度でも死んだ事があるかい?
誰かが君を「産まれてきた」と指摘しても、君は生きている自分しか知り得ないわけで、
生きている事しか知らないって事は、生きている事も知らないって事なんだよ。
米しか食べた事のない人に「何故パンではなく米食を選んだ?」って質問してどうなる?
それと同じくらい、この問いは地に足がつかない他人事の質問なんだ。
たとえ答えが作れたとしても、納得できないよ。実際に自分で体験して感じない限りね。


他者と情報交換する時には「生きている」「死んでいる」と表現をやり取りするけど、
実在的な観点から見ると生物は「今存在している」だけなんだと、私は思うの。
意味はあったのかもしれない。でも、今は別の意味が出来上がっているかもしれないよ。